疑似科学とアンチ科学

 毎日新聞の記事より
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/news/20070207ddm016070095000c.html
 自明だから実験しないというのは科学的な態度ではない。だからこの記事の中学生が自由研究に選んだというテーマは別に問題ないし、*1面白いと思う。
 ただ「こういう結果が出るはずだ」という思い込みで結果を見ると、実験誤差と呼べるレベルのものが有意な見えてくることは良くある。そこで、観察者の思い込みを排除するための定量化や、コントロール実験の考え方、サンプリングの方法などを教えつつ、「ほとんど差がないというのも立派な結果だ」という感じに指導していったら良かったのではないかな。
 これは別に「水が言葉を理解する」みたいなアヤシゲな話に限らず、すべての科学的実験に共通する事。組み立てた理論と一見整合性が取れているように見える結果が、その実、特定の環境下でたまたまその数字がでていただけなんていう事は、実験屋をやっているとわりと良くある話だ。


 ところで、言及されている「水からの伝言」は読んだことがない*2が、元にしている研究論文がないかと思ってPubMedで検索してみたところ、件のものかどうかわからないが、江本氏の名前が載っている論文でこんなものを見つけた。

"Double-blind test of the effects of distant intention on water crystal formation." (PMID: 16979104 *3 )
- Radin D, Hayssen G, Emoto M, Kizu T.

東京にいる約2000人からポジティブな波動をカリフォルニアの遮蔽された部屋の水に送ってもらった。それで結晶を作って善し悪しをジャッジ(100人)に判定してもらったところ、処理された水で作った結晶のほうがコントロールよりスコアが良くなった。 (超適当なサマリー訳)

 先入観を植え付けて申し訳ないが、ファーストオーサーのディーン・ラディン氏こんな人。
 何か、もうね… これ、ネタだよね? 多少なりとも筋道の通った理屈付け*4をするのかと期待しなくもなかったけど、目を通すのも馬鹿馬鹿しくなった。あ、それとももしかして批評実験なのかなぁ。
 そういえば、以前ジョン・ウォーカー氏の超心理学実験の話を読んだ事がある。

John Walker@Radium Software

結局のところウォーカー氏の狙いとは,敢えて超心理学の土俵に上りながらも,その中で反証を成立させるという,巧妙な芸当をやってのけることにあったんじゃないかと思う。

 対照実験が一個しかなかったら、完璧に同じでない限り多少の差が*5出るのは当然で、その差に何らかの理屈付けはできてしまう。だからこそコントロールの実験をするわけだけど、コントロールの意味をわかってない人って意外と多い。「差が有意かどうかを示す実験」なんてのをやり始めるときりがなかったりもするけど。


 というか、もう科学じゃなくてもいいじゃないか、と思う。科学的であってもなくても、「汚い言葉を使わないようにしよう」って言う意味はきっとあるよ。科学じゃないものを、敢えて科学の土俵で話すから紛らわしいんだ。宗教とか、道徳とか、芸術とか、ジンクスとか、根性論とか、気合と愛とか、今の世の中、非科学的なもので動いてる部分も多いわけだしさ。


 それはそれとして、学校では科学的なものの考え方もきちんと教えるべきだ。それはつまり、結果と主張を分け、特殊性を一般性を分け、公理と現象を分け、仮説と定理を分け、推論と証明を分け、自分が信じたい事と客観的事実を分ける事だ。最低限、科学と擬似科学の区別くらいはつけてほしい。今の世の中、科学的なもので動いてる部分も多いわけだしさ。

*1:中学生のやる事としては

*2:あまり真面目に読む気もないが

*3:直リンクしていいかどうかわからなかったので探してください

*4:言語に共通の快/不快を感じる音の性質と、生体分子の構築に有利な振動とで何か相関性がある、とか

*5:プラスであれマイナスであれ